takau-0celtis’s diary

23歳フリーターの日記

4継の夢を見た 〜逆襲のゼッケン〜

21時就寝の6時起き。9時間睡眠。少々寝すぎた気もするが、正常な生活リズムの範疇ではあるので問題はない。

夢を見た。高校の頃の陸上部の大会の夢だ。他にも変な内容のものがあった気がするのだが、記憶に残っているのはこれだけだ。

4×100メートルリレー、4継と親しまれている競技だ。4人がそれぞれ約100メートルずつ走る競技で、短距離の花形種目として知られる4継。

 

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これに出場するというシチュエーションの夢だ。私は3走だった。実は4継の走順には担当がある。

 

1走者はスターティングブロック(スタブロ)を蹴ってスタートするため、スタートが上手い選手が採用される。1走が走る距離は最も短い。

2走者は走る距離が最も長いため、そのチームのエースが採用されることが多い。

3走者は直線と直線を繋ぐカーブを走ることから、コーナリングが上手い選手が採用される。…というのが定説ではあったが、私が現役の頃は、走力が足りずスタートも上手くはないという、酷い言い方ではあるが要は余り物が3走を担当する風潮があった。

4走者は競り合いに強い選手が採用される。というのも、最後の直線ではどのチームも程度の差はあれ一直線に並び合うからだ。走る距離は2走の次に長く、大体の場合は順エースが採用される。

 

というのが、私が6年間陸上競技をやって得た知識だ。だがもちろん例外はある。

四継の面白いところはチームの戦略によって走順がコロコロ変わるところだ。ライバル校のエース級が思いもよらぬ走順で走っていて「は!?なんで?」と驚かされたこともある。また、自分たちの走順を4人で考えるのも面白かった。

さて私は3走の余り物だったわけであるが、3走はやったことがない。私は2走と4走しかやったことがないのだ。私はスタートは上手いどころかかなり下手くそで、カーブも下手くそ。だが、走力はあった。前述の通り2走か4走はエース級が採用されるとあったが、私は正真正銘部内のエースだった。

エースと言っても、100mの正式記録は11秒8だ。これを他の高校のエース級に話すと大体「お、おう、そうなんだ(他のメンバーが速いのかな)」と困ったような反応が返ってくる。というのも、100mのエース級ともなれば高校の県大会だとかでは11秒3は切るものが大半、中には10秒台を出す者もいる。11秒8なんてスタートが得意ではなければ3走に回されるか、それでもダメなら補欠に回されるレベルの記録だ。

そして何より、部で一番記録が良かったのは1つ下の後輩でそいつは11秒3だった。それでも私がエースだった理由は、そいつより速かったからに他ならない。

11秒8という記録は中学の時のものだ。そもそも私は100mは専門ではなかったので、高校では100mには数回しか出なかった。その数回も怪我のブランクで思ったように記録が出なかったのだ。

正式な記録では11秒8ではあったが、ストップウォッチで計った非公式な記録は11秒0だった。正式記録というものは概ね実力の指標にすぎず、真の実力を測ることは難しい。リレーの選手を決める部内のレースで、私は一番速かった。それがエースだった所以だ。

 夢の話の続きだが、私は3走の走者だったのに、4走のスタート地点にいた。3走のスタート地点にいなかったのは、その経験がなかったからだろう。そしてレースの直前、ゼッケンが無いことに気づいたのだ。

こういった公式のレースでは事前にゼッケンを各校が用意し、ユニフォームの前面後面に付ける必要がある。このゼッケンがないと走らせてもらえないのだ。だのに、レース直前だというのに私のユニフォームにはゼッケンが付いてなかった。

「ゼッケン付けてくるの忘れた!」と大慌てだった。このゼッケンというのは、一人一人番号が違うのだ。それゆえに、他の部員から借りることはできない。なのでこの場合はスペアがあることに希望を託すしかなかった。

しかし、スペアもなかった。この状況は絶望的に近い。このレース直前では、選手を交代することもままならない。

夢の中の私はとんでもない失態をしでかしてしまったのだ。最近の私の夢はやたらこういった失態が多い。どうしたんだ本当に。

で、私はひとりの後輩に命じたのだ。「ゼッケンを作れ」と。その後輩は「えぇ!?」と面食らっていた。この短時間で…そもそも何でゼッケンを作れば…えぇ!?と。

こういう時に使うゼッケンはなんかよくわからない厚い繊維でできていた。こんな繊維を用意するなんて無理な話だ。だが、中には布で自作する者もいる。しかし、その布も今は持ち合わせていない。

無茶な命令をされたにも関わらず、後輩は頭を働かせ行動に移った。なんと、学校の授業で使ったA4のプリントの裏に私のゼッケン番号を書き始めたのだ。

「俺は紙でレースに出るのか!?」と後輩に当たっていた気がする。この時の私は自分の失態を完全に棚に上げていた。なんか夢の中の私は人として最低なことが多いのだが、気のせいだろうか。私の深層心理はこんなに汚れているのだろうか。

そして後輩はハサミでゼッケンのサイズに調整し、無事A4プリント製ゼッケンを完成させた。私はそれを安全ピンと、安全ピンで開けた穴が原因で破けないようにとガムテープで補強した。

飛んだアクシデントだったが、後輩の機転を効かせたアイデアがあってなんとか棄権を回避することはできた。 あとはレースを走るだけ…

 

というところで起床した。やるせない感がすごい。どうせなら走りたかった。てか後輩、すまん。

陸上競技は練習がかなりキツかったが、キツかった練習を笑い飛ばせるほどのやりがいや達成感、楽しさがあった。少なくとも私は好きであった。

陸上から離れてもう6年かとしみじみした気持ちになる。陸上は好きだったが、ケガとか親の干渉があって、悪い思い出が多い。

それでも陸上を嫌いになれなかったし、今でも好きだ。走るのも観るのも。

なんか、また陸上やりたいなと思った。